「ありのまま」は救いの言葉か?それとも罠か?―学生と採用担当者の思いの乖離を減らすために―
小宮 健実(こみや・たけみ)
2014/11/11
イントロダクション
皆さん、こんにちは。採用・育成コンサルタントの小宮健実です。
最近、学生と採用担当者とのこんな会話を耳にしました。
「私は学生時代、何も特別なことはしていませんでした。面接ではどのようなことを話せばよいですか?」
「特別なことを話していただく必要はありません。ありのままの自分を表現していただければ結構です」
回答を聞いた学生は、少し安心したような表情を浮かべたのですが、私は、その回答はもしかしたら学生に誤解を与えてしまうのではないかという思いに駆られました。
学生が「ありのまま」という言葉をどのように解釈するかによって、採用担当者の思いと大きな乖離が発生してしまうと思ったからです。
一方で、採用担当者の方についても 「ありのまま」 という言葉をどのような意味で使ったのか、気になり始めました。
「ありのまま」 という言葉がもとで、採用活動の効率を損なうことにもなり得ると思いました。
「ありのまま」 は映画の影響もあって、今年よく使われている言葉です。
今回のコラムは、この 「ありのまま」 をきっかけに、冒頭の質問に対する適切な回答を探っていきたいと思います。
そして、その回答を考えるために、採用担当者として 「人が人を見る」 面接というプロセスについて改めて理解を深め、その反転として、面接に臨む学生に何を伝え理解してもらうべきかについて説明をしていきたいと思います。
ではまず、「ありのまま」 という言葉の学生の受け止め方から、話を進めていきたいと思います。
「ありのまま」は救いの言葉
まず起こり得る学生のミスリードは、 「ありのまま」 を就職活動の救いの言葉ととらえてしまうことです。
学生の就職環境は実際とてもタフなもので、学業をしながら説明会に30回足を運び、エントリーシートを20回提出するような世界観です。
そして就職活動中、何度もお祈りメール(不合格のお知らせ) を受け取り、どこが悪いのか、どうしたらよいのかわからず、それまでの人生に無いほどの不安や無力感に襲われる学生も少なくありません。
そのような時に、 「特別なことは何もいらない。ありのままのあなたでいい」 という言葉は、学生にとって救いの言葉に聞こえるでしょう。 「何も特別なことは今もこれからもする必要はない。あなたに合う企業はきっとどこかにあるはずだから」 と。
私の経験上、こうした発想は必ずしも学生を幸せに導きません。
単に学生の受け身の状態を肯定してしまうだけの結果になりかねないからです。
実際の面接の場では、学生は面接者に知ってもらうべき情報を、自ら発信することが求められます。
面接者が知りたいと思っている情報に対し、それにふさわしい情報を提供しようという努力が必要なのです。
ところが、学生の持つ 「ありのまま」 のイメージは、 「テストと短い面接で私を判断するのではなくて、もっと私のすべてを、内面ももっとよく見てください」 といった願望が含まれています。
その気持ちもわからなくはないですが、実際のところ採用担当者は神さまではなく、すべてを見て評価することは不可能なのです。
人材の見極めのためには、客観的に整理された評価の観点と基準による設計が必要で、その設計を実現する場が面接であることは、今までのコラムで述べてきたとおりです。
「ありのまま」 と自己分析
同じように、 「ありのままでいい」 というメッセージは、出口のない自己分析に溺れている学生にも救いと感じられることでしょう。
しかしながら、実際の救いにつながることはまずありません。自己分析には選考設計の観点からも是非行ってほしい領域と、学生の自己理解になるかもしれないものの、場合によっては学生を悩ませてしまう領域があるので、ここで解説しておきたいと思います。
学生の自己分析で最も必要なことは、過去の行動事実の棚卸しです。
つまり、自分が学生時代にどのようなことに取り組んできたか、 「事実をよく思い出す」 作業ですので、この行為によって悩みを深めてしまうことはないはずです。
採用選考において、多くの企業において最も重視されている評価要素は行動特性です。
それゆえ自己分析という名のもとに、学生がしっかりと過去の行動事実を思い出し、面接の場で適切に伝えてくれれば、採用選考の効率も質も上がることになります。
一方で、適性テストや内省によって自己理解を深めるような自己分析の領域は、 「わからない」 が解であることも多く、それに囚われつづけてしまうと、自分はいったい何者なのか?何を目的として社会に出るべきなのか?といった、アイデンティティー探しの海にさまよい、溺れてしまうリスクがあります。
この領域は志望動機などで確認できるものの、選考の評価に使用することは難しい要素です。
行動特性が望ましい応募者であれば、合格時や内定後に相談に乗ってもよい領域です。
もしも 「ありのまま」 という言葉のもとに、本来行ってきてほしい行動事実の棚卸しを行わず、興味、価値観、志向といった領域の悩みをありのままぶつけられてしまうようなことがあれば、適切な評価は極めて難しくなってしまうでしょう。
学生にどのように伝えるべきか
では私たちは、「ありのまま」 という言葉をどのように、何に注意を払って学生に伝えればよいでしょうか。
スポーツチームの採用活動に例えて説明しましょう。
そのスポーツにおいて 「速く走る」 という能力が成果を上げるために必要であれば、求める人材像に 「速く走れる人」 と記すことになるでしょう。
このとき、「ありのままのあなたを伝えてください」 とは、何を意味するでしょうか。
もしも100メートルを15秒で走れる人であれば、それをそのまま伝えることになります。
実際のところ、私たちの選考の世界では、○○秒と数値化され可視化できるような評価項目が中心ではないので、自分の事実に自信のある人もない人も出てきます。
しかし考え方は一緒です。
100メートルを15秒で走る人も、12秒で走る人も、18秒の人も、その事実を受容し、奢ることも矮小化することもせず、 「それが自分」 という気持ちで 「ありのまま」 伝えてくれればよいのです。
そして、「ありのまま」 を適切に導くには、やはり人事が採用選考の設計を正しく行い、それを学生にもきちんと伝えることが大切になります。
これは、特に求める人材像の設計に通じるところがあります。
私が採用活動の設計を依頼された企業でも、「いろんな人がいて良いから、求める人材像を定義する必要はないのではないか」 といった話が出ることは実は少なくありません。
しかし、人が人を見ることを客観的に実施するならば、必ず観点と基準を設ける必要が出てきます。
求める人材像 (観点と基準) を設けないのであれば実際のところ、集めた人について 「いろんな人がいる」 ことを証明することすらできないはずです。
さて、では冒頭の質問に、どのように答えたらよいか、もう一度考えてみましょう。
「私は学生時代、何も特別なことはしていませんでした。面接ではどのようなことを話せばよいですか?」
「特別な体験を話していただく必要はありません。ただ、……。」
「……」 の部分には、 「私たちの会社の求めている人材像は○○なので、あなたがそのような人材であることがわかる学生時代のエピソードを是非話してほしいので、よく思い出してきてください」 といったことを伝えるとよいと思います。
- 小宮 健実(こみや・たけみ)
- 1993年日本アイ・ビー・エム株式会社入社。 人事にて採用チームリーダーを務めるかたわら、社外においても採用理論・採用手法について多くの講演を行う。さらに大学をはじめとした教育機関の講師としても活躍。2005年首都大学東京チーフ学修カウンセラーに転身。大学生のキャリア形成を支援する一方で、企業人事担当者向け採用戦略講座の講師を継続するなど多方面で活躍。2008年3月首都大学東京を退職し、同年4月「採用と育成研究社」を設立、企業と大学双方に身を置いた経験を生かし、企業の採用活動・社員育成に関するコンサルティングを実施。現在も多数のプロジェクトを手掛けている。米国CCE,Inc.認定GCDF-Japanキャリアカウンセラー。
「面接」
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