
曽和 利光(そわ・としみつ)
2019/11/20
イントロダクション
こんにちは。組織人事コンサルタントの曽和利光です。今回は採用基準でよく使われることの多い「主体性」という人を表現する言葉について考えてみたいと思います。
主体性が評価され始めている
経団連が毎年実施している「新卒採用に関するアンケート調査結果」の中で「選考時に重視する要素」という項目があるのですが(https://www.keidanren.or.jp/policy/2018/110.pdf)、16年連続トップのコミュニケーション能力に続く要素がこの「主体性」です。
ここ20年ぐらいの大きな動向としては、コミュニケーション能力がずっと右肩上がりで頭一つ抜けており、その下のチャレンジ精神や協調性が徐々に下がる中で抜けてきたのが主体性という状況です。
もともと日本の会社文化は協調性を重視するイメージがある中では、協調性より主体性を重視するとは「最近の日本の会社も変わってきたのだろうか」と思わせる結果とも言えますが、本当にそうなのでしょうか。
大学入試改革における「主体性」
まず、ここで少し参考になるのと思うのは、最近の大学入試改革における文部科学省の「主体性」の考え方です。文部科学省の「平成33年度大学入学者選抜実施要項の見直しに係る予告」では今後の大学入試においては「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度をより積極的に評価する」としています。
これは「主体的に協調する」とも読めます。つまり、「主体性」と言葉では言いながらも、実態は「自発的な協調性」を指しているわけです。本来の言葉の意味から考えると、「主体性」は自分軸で動く、「協調性」は他人軸で動くということですから、どちらかというと逆のことを指しているはずなので、私には違和感があります。
結局は大学入試改革においても、これまでと変わらずに日本社会は「協調性」を重視しているのではないかと思うのです。もちろんその結論について私はどちらかというと賛成なのですが、表現としてそういうことを「主体性」と言ってしまうのは議論が濁るので問題ではないでしょうか。そして似たようなことが企業でも起こっていないかと思うのです。
「主体性」の仮面をかぶった「協調性」
企業でも「自発的な協調性」の意味で主体性を使うことがある
実際、私が様々な企業で人事コンサルティングをしている際、この「主体性」という言葉は頻出します。採用基準しかり、評価基準しかり、育成目標しかり、どこでも出てきます。その際、私は必ずその「主体性」はどんな意味で用いられているのかを直接・間接に確認するようにしています。
そこで多いのが「主体性」という言葉を「与えられた目の前の課題に対して前向きに積極的に取り組む」として使っているケースです。これは先の大学改革の文脈で語られている「主体性」とほぼ同じです。何度も言いますように、「そういう主体性」がダメだと言っているわけではありません。その意味で「主体性」という言葉を使うと採用などの実務上で問題が起こりますよ、ということが言いたいのです。
定義を曖昧に「主体性」を使うとどうなるか
最も起こりやすい問題は、当然ながら「間違った人を採用してしまう」ということです。経営者は本来の「自発的」「自律的」的な「自分軸」系の意味で「主体性」を用いて、こういう人を採用して欲しいと人事にオーダーしたのに、受け取る側が「自発的な協調性」的な「他人軸」系の意味で捉えて採用選考で評価をしてしまうと、結局採れるのは、ガツガツした自分軸タイプではなく、素直で適応力のある他人軸タイプです。
これはあくまで私見ですが、人事や採用担当者は優しく受容的な人が多いので、このようなミスマッチが起こりやすいのではないかと思います。そういう人は「協調性」の高い人が好きで、自分自分というタイプは嫌い。そのため、「主体性」という言葉があまり定義されずに用いられると、自分の好きなタイプの方に引き寄せて解釈してしまう。社長が欲しいと言っている人は、自分の好きなこういう人に違いない、と思うからです。
人を表現する言葉の定義は明確に
「社会的望ましさ」の罠
また、採用基準や評価基準を決めるなど、人を表現する言葉を使う際に気をつけなくてはならないのは「社会的望ましさ」の罠です。「社会的望ましさ」とは、ある人を表現する言葉が一般的に(社会的に)どのぐらい望ましいものだと思われているかというものです。時代的な評価と言ってもよいでしょう。例えば、「明るい」とか「好奇心旺盛」とか「柔軟性がある」という人の性格は、多くの場面で肯定的に捉えられることでしょう。
しかし、これが問題です。例えば「明るい」はネガティブな言い方をすると「高揚性が高い」「テンションが高い」「喧騒で落ち着きがない」であるとも言えます。こう見るとどうでしょうか。一概に良い性質とは言えないと思いませんか。実際、どんな会社や仕事、場所にいるかによって「明るい」の価値は変わります。「好奇心旺盛」も「飽き性」と言えば、けして望ましくないという仕事もあるでしょう。「柔軟性がある」も「日和見主義」と言うと、イメージが変わらないでしょうか。そもそも人には特徴しかなく、長所・短所というものは何をするかによって変わるものです。社会的望ましさに引きずられるとそこを忘れてしまうのです。
「主体性」のように社会的に望ましい言葉こそ精査を
今の世の中で「主体性」(どんな定義であれ)を持っているということを否定的に捉える人は少ないのではないかと思います。しかし、こういう「みんなが議論なしに良いとしてしまうこと」こそが危ないのです。言葉の持つ「社会的望ましさ」によって、思考停止してしまい、本当は個々人で違う意味で使われているのにそれについて注目して議論することがなくなります。
同調圧力の高い集団であれば特にそうです。「主体性って本当に必要なんでしたっけ?」「そもそも正確に言うとどういう意味で使っていますか?」といった素朴な疑問を気軽に投げかけることができるような場を作らなければ、すり合っていないままで物事が進んでしまうことがあります。それでよく人事担当者に「御社のこの『●●性』というのは何のことを指しているのですか?」と聞いても明確な言葉が返ってこないのでしょう。要は議論されておらず、コンセンサスも得ないまま「これは当然必要でしょう」というように採用基準になったりしているからです。
自分の使う言葉の定義にこだわる
このような言葉は「主体性」以外にもたくさんあります。「コミュニケーション能力」や「ストレス耐性」「意欲の高さ」「地頭の良さ」などなど、ほとんど定義されずに採用基準としてしまっている会社はとても多いです。しかし、採用基準や求める人物像の定義は、採用活動の方向性を決める第一歩です。ここが不確定であれば、どんなに明確な戦略や戦術を定めても、もしかすると「間違った方向に全力で走る」ということになりかねません。
ですから、経営者や現場リーダーの発する言葉を自分の感覚で勝手に解釈をするのではなく、必ずその意味を一つ一つ確認していくことが重要です。また、毎回の実際の面接で、リアルな候補者について議論するときもチャンスです。そこで言葉を濁さずにすり合わせができれば、採用に関わる人の中での「目線」が揃ってくるはずです。採用担当者の皆さんはプロとして自らが用いる言葉の定義には気を使っていただければと思います。
- 曽和 利光(そわ・としみつ)
- 1995年(株)リクルートに新卒入社
、人事部配属。
以降、一貫して人事関連業務に従事。採用・教育・組織開発などの人事実務や、クライアント企業への組織人事コンサルティングを担当。リクルート退社後、インターネット生保、不動産デベロッパーの2社の人事部門責任者を経て、2011年10月、(株)人材研究所を設立。現在は、人事や採用に関するコンサルティングとアウトソーシングの事業を展開中。

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